梅郷の庵 設計ノート

■敷地と建築主
   
 敷地は青梅市で、多摩川沿いの吉野街道から少し入った山裾にあり、山桜の老木と江戸時代からと伝えられる茅葺の民家が建っていました。前家主の陶芸家が亡くなってから十年以上放置されていた為、子供の背丈ほどもある雑草に覆われ、母屋の屋根は朽ちて崩れかけ、茅にも苔や草が生い茂りかなり荒れた様子でした。

建築主は漆芸家のご主人と日本画家の奥様、小さな子供の三人家族です。伝統美を重んじるご夫婦は自身の作家活動の方向性に合う山間の自然豊かで静かな環境を求め、まだ古民家が点在し長閑な風景が広がるこの土地を選び、庵を結ぶ決意を固めました。

 
 

■理想の住まい
   
 重要な要望として三つのことがありました。一つ目はこの残された築二百年を超える既存民家の柱、梁材を最大限生かすこと、二つ目は伝統的な日本家屋のように表、奥、裏といった秩序のある折り目の正しい構成であること、三つ目は高い精神性を宿した住まいであるということでした。

表とは客を向かえる応接兼ギャラリー、奥とは仕事場に当たる工房と画室、裏とは生活空間のことで、それぞれが独立しながら繋がり、繋がることで生まれる連続性や空間性、更に古材を用いることによる歴史性により、視覚だけではない精神的な意味での奥深さや広がりが求められました。

 
  

■古材を残すということ
   
 まずは既存建物の状況を把握する為、工事を委ねることになる施工者の手を借りて細部に至るまで調査をしました。山側のニ間、縁側、下屋については柱、梁共腐食が進み残念ながら使えるものはありませんでした。しかし山から離れた囲炉裏の切られた土間の広間のみ柱や小屋組の痛みも少なく、触診や目視から再利用できることが確認できました。

 この梁や柱は二百年以上の歳月人々を守り、生活を支え、静かに時を刻んでいたことと思います。改めて眺めると、嘗て暮らしていた人々の姿、人生、長い歳月を思い、尊いものを託されたのだということを強く意識しました。思索を重ねた末、この小屋組みには手を加えず、なるべくそのまま残し、新しい空間で包む形で継承するという判断に至りました。

日本では四方に柱を立てたその内は神聖な“場”になるという考えがあります。この柱と小屋組みを壁や天井から切り離し独立させることでより存在感を強め、芸術家お二人の依り代のような空間になればと考えました。

 
 

■ 配置と設えについて

配置の基本として、まず古材の小屋組みが立つ応接ギャラリーが中央にあり、アトリエと生活空間が東西へ分断される形としました。すると、生活から仕事、仕事から生活へ戻る際、必ずこの空間を通るようになります。この配置によって生活と仕事が完全に切り離され、更に干渉空間があることで、心の切り替えが行いやすく、要望の一つである“折り目”をより明確な形で構築することができると考えました。

  

「表」となる応接ギャラリーの玄関も柱や小屋組みと同じく嘗てと同じ位置に設けました。扉の設えは引き違いから開きにしましたが、長きに渡り人々が出入りしていた歴史も繋げたいと考えたからです。中に入ると煤で黒ずんだ柱、うねる梁に迎えられます。框や床は建築主自ら仕上げた古褐色の拭漆で、古寺の堂内のような装いとなっています。北側正面には小堀遠州作孤篷庵忘筌写しの地窓、苔の坪庭があります。光を抑制した茶室のような設えで、亭主であるお二人の人柄と思いが感じられるものとなっています。

 

「奥」となるアトリエは接道側の東に配されています。画室と工房から成り、前室を通り入室する形となっています。前室は畳敷きで、同じく建築主が漆で仕上げた欅の飾り棚があります。ここはギャラリーの飾り床であり結界、能のシテが能舞台へ向かう前に面を付ける鏡の間と同様の意味を持つ空間です。

画室は自然光の入る南側で、作品収納が外部に飛び出した形となっており、これが外観の特徴となっています。作品に込めた思いが納まりきらないという考えが形になったものです。

工房は漆蒔絵の細密な作業のために人工照明を主とし、直射の入り辛い北側としています。西側に収蔵庫が繋がることで坪庭が形成されています。坪庭の繊細な光の変化は、時の移ろいや季節を写す鏡のような場となり、日々の暮らしにささやかな彩を添えています。

 

「裏」となる生活空間との間にも結界として前室が設けてあります。前室を介して家族用の玄関と廊下、便所、客へのサービスを踏まえて厨房が繋がっています。生活は座式で、大きく張り出した書院によって山側に開放されています。これから時間をかけて造り上げる予定の庭があり、その奥に美しい竹林を望むことができます。ここでは仕事で張り詰めた緊張から解放されゆったりと寛げるように極力曖昧で広がりのある設えとしています。

 

職と住のコントラストを明快にすることで、棟続きであっても心の切り替えが行いやすく、生活や創作活動がより充実したものとなるよう細部に至るまで注意深く考えられています。表、奥、裏という要素が独立しながらバランスよく繋げることで、心地よい緊張感を持ちながら一つの纏まりのある住まいが形成されています。

 
 

■ 外観の表現
      

外観は家主の人柄が表現されるべきだと考えています。近隣の住民や来客は、まず外観から家主をイメージするからです。よってアトリエの棟を道路側とし、物造りの空間らしく急勾配の切妻屋根としました。軒を道路側に大きく出して深い陰翳をつくり、妻面の“動”とひら面の“静”を同時に感じて頂けるようにしました。その軒下では開口、凸部、面と翳とを丁寧に織り込み、それが作品に向き合うお二人の姿と重なるようにと考えました。

山側の棟は控えめな佇まいで屋根は低く緩勾配とし、マッスを強調したアトリエの棟とは対照的に、線や面で分割するデザインで纏めました。客側のアプローチから眺めた時に生活観が表に現れることがないよう注意深く構成しました。

外壁の色は敷地の土と同じ色としました。自然豊かなこの土地と融合することを念頭にしたからです。山の木々や岩ように、この美しい里山の風景に馴染むよう願っています。


■実現に際して
    
 この住まいは古民家の小屋組み解体と再構築の作業があるため、技量と経験を重ねた施工者でなければなりません。そのため、当初より古民家や社寺建築のエキスパートである八大建設と大工棟梁の手を借りることとし、計画当初から相談を重ねました。調査では柱、梁を一本一本叩きながら材の腐食を確認し、更に外部の羽目板を外して土壁を、屋根は入母屋の木連れ格子を外して屋根裏から雨水の流入状況を確認しました。

工事は鬱蒼と茂った雑草と木々の伐採、昭和48年竣工の増築棟の解体から始まり、古材の小屋組みは倒れないように補強を施しながら茅を落としました。骨組みになった状態で番付を行い解体、保管場所に輸送し、虫食いや痛みの激しい箇所の補修、増築時に撤去された部材の刻み作業を進め再構築に備えました。施工者の経験と勘が頼りの作業が多く、その場で協議し検討することを重ねました。

全体の骨格はプレカットでしたが、装いの異なる棟が繋がる複雑な形である上、細部への拘りもあり、通常の住宅のようには進みませんでした。古材の組立ては棟梁に委ねられましたが、保管している間に松の梁材が動いた為捩れが発生し、難しい作業となりました。

仕上げでは、応接ギャラリーの松の框や床、居間の床、欅の飾り棚を建築主が漆で仕上げました。建築主は一流の職人でもあり、美しい仕上がりが見事に空間を彩りました。機械化が進む現代の中でも携わる全ての職人が徹底的に手仕事に拘り、それぞれが職能を発揮して造り上げた現在では珍しい昔堅気の住まいなのです。