■敷地と住環境

敷地は板橋区の市街地で旧中山道から少し入ったところにあり、4面の境界の内3面が道路に面する区画端部に位置しています。この辺りは細い路地に井戸が残る昭和の情緒漂う街区ですが周囲全てが細街路という密集市街地で、境界の後退義務と道路斜線、角2箇所の角切り等厳しい制約がありました。また、敷地内のレベル差が350ミリ程あり、その高低差を建物本体で解消する必要もありました。

建築主はご夫婦と幼い子供の3人家族で、同じ板橋区内のマンション住まいでした。規格化された間取りの空間的な魅力の乏しさ、ライフスタイルに合致しない不便さ、通風や採光、断熱の問題等、ご自身が理想とされた住環境からは遠く、戸建の住まいを建てる決断に至ったとのことでした。

■御要望について

ご要望は敷地の諸条件による厳しい制約を乗り越え、出来うる限りの高い性能と機能性、豊かな空間性を備えた住まいをとのことでした。用意された要望書はとても具体的で密度が高く、現在から老後に至るまでのライフプランがしっかりと計画されており、その生活に必要な機能はもちろんのこと、可変性や柔軟性、プライバシー、それを踏まえた上での耐震等級3、高断熱等、長期優良住宅の性能を満たしていることとありました。

ご夫婦とも多くの趣味をお持ちでとても文化的であり、その一つ一つに真剣に取り組んでおられました。建築に対する造詣も深く中でも村野藤吾の作風を好まれており、私が村野・森建築事務所出身であったことが候補として選んで頂いた理由ともなりました。

計画はその詳細なご要望を深く読み解くことからはじまりました。それぞれ実生活の中でお考えになった利便性や機能性、空間性等の理由があり、更にそれぞれが複雑に関係し合っていたので、その中の一つでも疎かにすれば計画の根幹に大きく影響してしまうことが予測されました。部屋と部屋との繋がりやその大きさ、設えが具体的に示されており、それを上手く納めることは並大抵なことではないことが分りました。また、風水を満たすというプランニング全体に関る事柄もありました。

■計画の模索

計画をスタートすると予想していた通り道路斜線の問題が立ちはだかり、天空率計算を抜きにして理想とされるプランでの3階建ては成り立たないことが分りました。また施工的にも細街路に囲まれた敷地でどの様に工事を行うかということを考えねばなりませんでした。搬入、建て方時のレッカーの位置、ストックヤードの確保等、様々なことを踏まえた上での計画でなければ、図面化したとしても実現できない可能性があり、その全てをシュミュレーションしながら作案する必要がありました。

数々の課題をクリアすべく検討を重ねましたが、何かが上手く行くと何かが上手く行かないという状況が続きました。外形、階高、プランニングと検討を進める中で、最も苦戦したのが階段の位置と納め方でした。安全性、使い勝手の良さは最重要視していますが、ゆったりと作ればその分まとまった面積が必要となます。また3階建てで上がり下がりが若干でも苦になれば、それだけでよい住まいにはなりません。この住まいに相応しい階段とは如何なるものか、これが最も重要で根幹的なテーマとなりました。スケッチを重ねる中で、階段を他の空間に影響しないよう適当と思われる位置に嵌め込むのではなく、もっと積極的に空間を螺旋状に巻き込むような階段、個の空間が階段を通じて全体に、全体が階段を通じて個の空間に響きあうような住まいが作れないものかと考えるようになりました。そして検討を重ねた結果、L型の配置に辿り着きました。玄関から廊下を進むと右方向に巻かれる形で階段へ、2階のLDKを取り込みながら3階へと立体的な流れのイメージが膨らみ、理想的と思われる骨格が形作られて行きました。

■京町屋に学ぶ

各戸が肩を並べあうような環境で豊かに暮らすための工夫はいつも京町屋を参考にします。そして今回、特に着目したのが通りにわの空間です。通りにわは通路でありながら室としての機能があり、内部でありながら外部のようでもあり、曖昧でありながら中核を成す不思議な空間です。そして更に廊下や縁へと繋がり、各室や坪庭等を巻き込みながら奥へと繋がってゆく、その様な構成が織り成す濃密な空気感、影と光が複雑に交わることで生まれる奥行きがそこに住まう人の心に、単なる空間や機能だけではない特別なものを提供してくれます。この住まいではその通り庭のような動線を造ることで、立体的な町屋空間の構築を試みました。それにより町屋特有の面白さ、日本人に馴染み深い自然な流れや陰翳、空間との一体感が体感できる住まいが生まれました。

■立体町屋としての住まい

玄関から始まる廊下は町屋の通りにわのように変化に富んだ設えとしました。広くなったり細くなったり、衽(おくみ)形の飾り棚、斜めの壁を使い、速い流れ、遅い流れを作りながら右回りの階段に展開してゆきます。更に必要各室を効率的に繋げ、楽しく、機能的な空間を造り上げることができました。

2階は厨房を中心に据えた機能性の高いレイアウトとしました。厨房からは階段、廊下、パントリー、リビング、ダイニング、和室と全ての空間と最短で繋がり、それでいて隔すこと、隔てることもできるというお二人が理想とされたプランニングを実現しました。リビングと和室も繋がりながら仕切れる形とし、淀みのない流れをつくりながら繋がることで生まれる変化と、広がりのある豊かな住空間を構築することに成功しました。

■設えと素材

ご夫妻とも和風を好まれ、白木を用いた細工や設え、土壁、石材等素材に関しても強い拘りをお持ちでした。特に2階の和室は奥様がお茶を嗜まれていることもあり、構造的制約や耐火性能的に炉を切ることはできませんでしたが、要望書にあった書院付きの一間床、框は塗りで龍鬢の薄縁、細工欄間、京唐紙の採用等諸条件全てを盛り込んで書院茶室として纏め上げました。また、ご主人が大学で地質学を専攻されて国産石材に詳しく、拘りがありましたので諏訪鉄平石を玄関とポーチに、1階和室土間は岡山の万成石貼りとしました。数寄屋や様式建築にも用いられる石材を要所に用いることで品格が生まれ、落ち着きと潤いのある密度の高い空間となりました。

■終わりに

 プレゼンテーションで説明をさせて頂いた折、ご感想を求めたところ「案の出来栄えに言葉が出ない」と仰って頂きました。今でも嬉しく思い出します。

プランニングに苦戦しながら辿り着いた案を立体化し、天空率の解析へ進みました。1センチでも無駄にしないために建物本体を数センチ移動したり、納まりを工夫し軒を下げたりと調整と解析を重ねようやく実現案が完成しました。

階段を中心に全体を巻き込んで行くというテーマは、ご家族と住まいの親密さをより高めて頂けるように考案したものです。日々移動を繰り返すという体験を通して、空間が何時しか自身の一部のようになって欲しいという考えによるものです。これからこの住まいの中で様々な出来ごとがあると思います。この板橋宿の家がその全てに寄り添い、子供の成長を見守り、ご家族を支えながら共に充実した歳月を重ね、掛替えのないもとなるよう心より願っています。

板橋宿の家 設計ノート