「心が安らぐ住まい」
Consept
そこにいると心が安らぎ、落ち着きの中で潤いのある生活が営まれる、そんな住まいが理想だと考えています。
静けさの中に暮らしがあり、日々の喜びがあり感動がある、そんな暮らしができたら素敵だと思いませんか?
茶室のことを「市中の隠」、「街中の山居」などと言いますが、喧噪の街区にあっても、玄関を一歩入れば別世界になる、そんな住まいをご提案できたらと考えています。
茶室の魅力を住まいに応用したのが数寄屋です。「建物を人の心に寄り添わせるにはどうしたらよいか」と長い歴史の中で研鑽が積まれてきました。その教えには深いところで染み入るように心和ませる術が詰まっています。
住いは軽やかで肌触りのよい服のようでありたいと考えています。数寄屋の教えやエッセンスを生かしながら今のライフスタイルに合った住まいを創造したいと考えています。
住まう人の感性が自由に開放されて、いつも静かに見守られているような、その時々の気持ちに親身に寄り添うような存在になるようにと願いながら設計をしています。
代表 佐藤 健治
プロフィール
Profile
建築家 佐藤健治
佐藤健治
Sato Kenji
代表
一級建築士 / 第306699号
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経歴
1968年
神奈川県生まれ
1992年
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業
1993年
村野、森建築事務所(~2003年)
村野、森建築事務所での作品
東京プリンスホテル パークタワー
丹下健三都市、建築設計事務所との共同プロジェクト
客室、和、中華レストランのインテリア設計のプランニングを担当
人工地盤の大庭園に建つ都市型超高層ホテル
地上31階 地下3階
2005年竣工
関西鍼灸短期大学診療、研究棟
1階、2階を診療所(東洋医学、西洋医学それぞれの診療施設とリハビリ室他)、3階4階を学校施設(研究室、実験室、大教室他)とした複合棟
地上4階
延床面積4,180㎡ 建築面積1,303㎡
2003年竣工
箱根プリンスショッピングプラザ
箱根プリンスホテルから箱根園までの動線に建築されたショッピングモール
地上1階 延床面積435㎡ 建築面積473㎡
2001平成13年竣工
東京大学宇宙線研究所宿泊棟
研究者のための宿泊施設
地上4階 延床面積920㎡ 建築面積439㎡
2000年竣工
高輪プリンスホテルさくらタワー
プリンスホテルグループの高級ホテルとして全室ジャグジーバスを完備したシティーリゾートホテル。他にレストラン、宴会場、スパ等の娯楽施設がある
地上13階 地下2階
延床面積27,471㎡ 建築面積 2,016㎡
1998年竣工
白雉子ビル 雉子神社
オフィスビル1階のピロティー部分を神社境内として開放した複合ビル
地上11階 地下2階
延床面積9,378㎡ 建築面積1,177㎡
1995年竣工
箱根プリンスホテル新館
国際会議場、宴会場、客室をもつ新館
地上4階 地価1階
延床面積5,581㎡ 建築面積2,021㎡
1994年竣工
2002年
矩須雅建築研究所設立
活動内容
手仕事を生かすこと、そのために原寸図を起こします。監督や職人さんたちと相談しなが
ら、より良くなるように、現場でのやり取りを大切にしています。
優れた建築は、人の心に寄り添います。そんな、村野藤吾先生の思いを皆さんにお伝えで
きればと、ツアーガイドやテレビ番組企画、展覧会、出版物のお手伝いをしています。
建築家 菅原智雄
菅原智雄
Sugawara Tomoo
共同設計者
一級建築士 / 第372815号
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経歴
1968年
北海道生まれ
1992年
武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業
2006年
矩須雅建築研究所に参加し共同設計者となる
活動内容
特殊な敷地の接道状況など、住宅を成り立たせるための難易度の高い法的な問題解決に多く携わっています。
設計活動とともに、2001年より作陶を始め、陶芸を通して生活を楽しみながら、空間づくりに取り組んでいます。
矩須雅建築研究所の屋号について
「矩須雅」とは、代表である佐藤健治の祖父が起こした組の屋号で、矩須雅建築研究所はその屋号を
引き継いだものです。
祖父は1907年(明治40年)宮城県栗原出身の気仙大工棟梁の家系に生を受け23歳1930年(昭和5年)
に独立、矩須雅組は誕生しました。
1930年からの6年間を宮城県塩釜市、1936年(昭和11年)東京銀座へ会社を移しさまざまな仕事に携
わりました。
矩須雅組の仕事
- 地下鉄新橋駅(銀座線)の施工
この新橋駅は幻の駅と云われ一般の目に触れることはありませんが、現在も竣工時そのままの姿で残っています。(NHKブラタモリにて放送) - 栗山村橋梁(栃木県日光市・木造)の施工
当時この村の交通は大変不便で陸の孤島のような状況にあったそうです。私がこの村を訪れた折に橋の近くにお住まいのおばあさんより、当時の村のことや工事の様子をお聞きすることができました。村をあげてのプロジェクトに沸き立つ様子や、神社の御神木を切り倒して使ったことなどを教えて頂きました。平家の落人伝説があり、平家に謂れのある異形の平家杉が残されています。
矩須雅組のその後
組は200人の従業員を抱えるまでとなり、大戦中にビルマ(現、ミャンマー)で鉄道敷設工事に関り、祖父はその戦地にてマラリヤと黄熱病を併発して亡くなり、敗戦と共に組も解散、消滅しました。村野、森建築事務所から独立するにあたり、屋号(祖父の遺志)を継ぎたいと思い、事務所名を矩須雅建築研究所としました。