ここ最近、古いものを直して使うことが何度かあり、色々考えています。
今掛けている丸眼鏡はフレーム2回程、鯖江の職人さんに直して頂き使い続けています。
昨年は高校生の時、38年前に自分で組み立てた自転車のクランク(前のギアの軸)をオーバーホールしました。当時は拘りに拘って、小遣いをためて部品を一個一個買い、部品が揃った時に自転車屋さんの作業場を借りて指導してもらいながら組み立てました。
コロナ感染が広まり、現場に通うために頻繁に使うようになってから楽しさを思い出し、休日に度々奥多摩や桧原村までサイクリングをしています。
部品を選ぶ時、その自転車屋さんに「何に拘ったらよいか、何を優先したらよいか」きいたところ「体に触れるところを優先するとよい」とアドバイスをくれました。まずサドル、ペダルの順番で購入して行きました。サドルは元馬具を作っていたメーカーのフランス製の皮サドルで、一番奮発しました。
その教えは「建築と一緒だな」と感じます。空間や造形に目がゆきがちですが本来は最も人に近い触れるところが大切で、椅子、ドアノブ、床などから発想を膨らまして行くべきだと思います。
今年に入って、事務所の近くでお爺さんがやっている時計の修理店に、昨年末から動かなくなってしまった手巻きの腕時計を、続けて古いクォーツの懐中時計も直してもらいました。
どちらも長く使っているもので、懐中時計はだいぶ前に修理不可能とのことで直せずにいたものでした。この懐中時計は高価なものではありませんが、村野、森建築事務所に入門して、携わった最初の現場が竣工した時の記念として買いました。形や文字盤が美しく、その後もこれ以上自分が惹かれるものはありませんでした。
長く愛用したものは「もの」という存在を遥かに超えて自分の一部になってしまいます。私達が携わる建築も家具も同じだと思います。直してもらった時計を眺めながら、その様なものを造りたい、造らなければならないと切に感じています。