敷地と計画の概要
敷地は、多磨霊園の門前、石材店が建ち並ぶ街区の一画にあります。通りを挟んだ霊園側は玉石積の擁壁で、その上に樹齢を重ねた大欅の並木が枝を伸ばしています。周辺は、土地柄お寺が多く、どこか古都の趣があります。
戸井田石材店は、創業100年を超える老舗で、お彼岸やお盆の時期には生花を求めたり、預けている家紋と家名付きの桶の受け取りに来られた人々で大変な賑わいをみせます。
墓石や生花の販売の他に、法事などの式典をお受けしており、売場や応接以外に会場となる広間が必要とのことでした。その広間も、最近では座式ではなく椅子式が好まれるようになり、既存建物の耐震性への心配、設備関係の老朽化による不具合等々により建替えを決意されたとのことでした。
ご要望
既存建物は、昔ながらの真壁造りで、ガラスの引違い戸に囲まれた店舗の土間を中心に、奥の南側が続き間の座敷で縁側が廻り、西側が居住スペースでした。屋内は全体的に暗く、新店舗、新居には、まず明るさが求められました。
店舗の受付や作業場は、使い慣れた現状の位置を踏襲されたいとのことでした。式典で使う広間は土間にして椅子式へ、動線計画は最も重要で、通常営業時はもちろん、お墓参りが盛んなシーズンの混雑時の接客対応や作業のやりやすさ、僧侶が塔婆を渡すための小上りの位置はどこがよいか、トイレの計画等々、数ある問題に対して、最も機能的で管理しやすいプランにされたいとのことでした。
墓石の販売、仕入れた花々を束ねる作業と販売、霊園内での仕事があり、その他諸々の仕事を限られた人数でこなしながら、同時に家事をされることが日常で、この重なり合う業務と生活に対して建築的にどのように対処するか、解決するかが最大の課題でした。また、住いは、風通しがよく光に満ち、吹抜を中心とした開放的なものにされたいとのことでした。
更に、ご商売柄、家相にも気を遣って欲しいとのご要望も頂き、方角ごとの吉凶を確認しながらプランニングを模索しました。
提案内容と実施
東側に店舗、西側に住居という基本的なゾーニングは既存建物を踏襲しましたが、店舗と住いの間に京都の町家などでみられる二層吹抜の通り庭を貫入させる案を提案させて頂きました。店舗から南奥への動線を確保し、その土間とリビング、ダイニングを繋げ、全体を立体的に一体化しました。迂回せずどこへでも最短で行き来ができるようにすると同時に、陽光を深くまで取込むことにも成功しました。また、ダイニング上部も吹抜とし、階段と北側に高窓を設け、落ち着いた柔らかい光が食卓に注ぐようにしました。特性の異なる二つの吹抜がつくり出す光や陰翳の移ろいを、日々お楽しみ頂きながらお過ごし頂けたらと考え、提案させて頂きました。
メインの建具は、計画以前からコレクションされていた、蔵戸や板戸、格子戸を使わせて頂きました。壁の仕上げは、淡いベージュがかった白で、そこに墨入弁柄漆などで仕上げた趣ある建具が据えられました。淡い壁に濃い色の建具というコントラストが空間を引き締め、心地よい緊張感が生み出されました。新築の真新しさを感じながら、同時に歴史の香りが感じられるという、他にはない個性的な住いとなりました。
店舗の屋根は、大きく張り出して軒下を広くとり、雨天時や夏の日射が強い時期でも、快適に利用できるようにしました。入口は、大開口となるよう大扉の引き分けにし、お彼岸やお盆の混雑時に余裕をもって出入りができたるようにしました。扉のデザインは、創業時からお店の顔として親しまれてきた組子の構成を踏襲し、“歴史を引き継ぐ”という刻印としました。
客用トイレは、外部からも直接アプローチできるように動線を確保し、その出入りが、受付側からさりげなく目視できるように、管理の点でも気を配りました。僧侶が塔婆を配る小上りは、北東の角に配置し、生花の売り場の反対側とすることで、混雑を緩和するようにしました。
広間は、手前と奥に2室ありますが、4枚の引戸を戸袋に納めると一体として使えるようになります。この4枚引戸は、創業時から使っていたものを、修理、建付調整、古色に化粧直しをして再利用しました。奧は式典用、手前は日常的に使う応接用で、鴨居上の垂壁には50を超える桶を並べ置くための棚が設けられました。この桶と棚は、単に預かって保管をするという機能面だけではなく、このお店の歴史を物語る語り部としての役割も担ってもらいました。
外観は数寄屋造りで、表通りに沿って約20メートル続く軒によりお店の“格式”を、起り付燻し瓦の大屋根で“伝統”を表現しました。霊園側の大木の並木と相まって、門前の老舗として相応しい景観になったと思います。鬼門にあたる北東に角に漆喰の張出窓を設け、魔除けとして猪の目を穿ちシンボルとしました。歴史ある戸井田石材店の益々の繁栄と、ご家族の末永いご健勝を祈りながら携わらせて頂いた作品です。