橿原神宮駅は戦前の紀元2600年、天皇の行幸や皇族、国民(当時は臣民)の参拝のためにつくられた駅です。そのため、天皇、皇室専用の貴賓室があります。
橿原神宮駅は先生亡き後に知られるようになった作品で、リストにも掲載されていません。戦中、軍関係の施設も幾つか設計していますが、これも伏せられていました。戦後の「戦争協力者への糾弾」から身を守ることは必要だったのだと推察されます。
外観は、奈良の民家などでみられる大きな大和棟で、白い列柱が瓦葺の下屋を支える大胆で迫力のあるデザインになっています。私はその造形的な魅力に惹かれますが、もしかしたら、先生はそれを嫌ったのかも知れません。恩師、長谷川堯先生の「神殿か、獄舎か」では、建築家は国家事業や支配層のとしての“神殿造り”を最上のものとするか、その国家や、支配層の逆側にいる人々のための“獄舎造り”として立つかという、当時の建築家達に問うた著作がありますが、そう言った意味では村野作品の中で唯一、神殿に近いものであるこの作品に対して、時代に求められたとはいえ、遣る瀬無い思いを持ちだったのかも知れません。いずれにせよ、見所の多い魅力的な作品です。